茶道古市古流の起源

  古市古流は、人々に「古流」と呼ばれる通り、起源は古く、茶祖村田珠光の弟子古市播磨守を流祖とした武家茶道であり、豊前小倉藩小笠原家の茶道として長く続いてきた由緒ある茶道の名門であります。
  今から五百余年前、室町時代の中頃(1450年)大和国奈良興福寺の寺社奉行を務める大名に、古市播磨守胤栄がいました。
  天武天皇の第五皇子で日本書紀を編纂した舎人親王の末裔で、大和国古市城の城主でした。
  また僧官でもあったので播磨法師とも呼ばれました。 この古市胤栄が古市古流の茶道の祖です。
  古市氏が小倉に来たのは、江戸時代初期寛永九年、1632年の秋、第四代了和の時、細川三斎公から豊前小倉藩を引継いだ初代藩主小笠原忠真公に茶道頭として仕えたのが始まりでした。
  了和は間もなく亡くなりましたが、第五代知庵に忠真公は知行二百石と共に茶室一棟を与えました。
  この茶室は前の国守であり、茶人としても有名な細川三斎公が建てておかれたもので、潜り口(にじりぐち)の石は、三斎公秘蔵といわれていた富士形の石で、刀掛けの石として知られたものです。
  知庵はこの拝領の茶室の材木をもって、当時与えられていた篠崎本町の通りに面した屋敷に、四畳台目の茶室を立てました。この茶室に清風軒と名づけました。
  清風軒と名づけたのは、縁戚筋に当たる千宗旦(利休の孫)にいただいた掛物「清風掃名月、名月掃清風」から取ったもので、これが清風軒の由来です。
  また、古市古流の教授や師範の集まりの「清風会」の由来でもあります。